七度目の蒼い夜

パーティーキャッスルとか手を出したオンラインゲームとかネットであったこととかたまに書くかもです。

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2011-04-17 [ Sun ]

前に載せた高梨さんの絵を違うところにうpする際、なんか文を書いてしまったのでこちらにもこっそり載せておこうかな(〃゚_゚〃 )

短いです。意味不明です。ごめんなさい。






――学校からの帰り道、君は一輪の花を摘んで僕に微笑んだね。

その花は凄く可愛らしかったけど、君もそれに負けないくらい可愛い笑顔で僕に笑いかけたんだ。

もうあれから一年経って、君に永遠に会えなくなって。
君はもうあの日みたいに、僕に向かって笑ってはくれないね。

――それでも今日、あの花が同じ場所に咲いているのを見つけてしまって、僕は、君の笑顔を思い出してしまって――。

押し殺してきた想いが流れ出して、蘇る君との思い出が、もう君には会えないのだと、君と同じ時間を過ごせないのだという事実を無理矢理僕に突き付けて――。

僕は泣きながらその花を摘んだ。

――あの日、君がそうしたように。
僕もこの花を手に笑おう。
――微笑んだ先に君はいないけど、僕はまた此処でこの花を摘んで、君との思い出に会いに来るよ。


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突発的に書いてしまった謎文www
絵を描いた時は微塵も考えてなかった話なんでぶっちゃけ関係ないw\(^O^)/
絵と文の二重お目汚し失礼しました!;
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2011-03-28 [ Mon ]
3月11日。
帰りのバスが来るまで時間があった。
いつも通り、時間を潰す為に駅にある某百貨店に入る。
駅の南口に行ってみようかと思ったが、疲れていたのでやめた。
コンビニに入ろうかとも思ったが、先日行ったばかりだしと思い、やめた。

此処のエレベーターは来るのが遅い。だからいつも通り、エスカレーターで本屋がある9階まで上った。

そしていつも通り勉強しているパソコンの本を立ち読みする。というか立て膝?で読んでいた。



腕時計を見て、あと10分くらいしたら出よう、と思った。

そしてまた本を読んでいると、グラリと軽く揺れた。

地震かな?

思わず立ち読みしていた隣の人♀と顔を見合わせてしまった。

しばらく揺れないので、またお互いに再度読んでいた本に目を落とす――グラグラグラッ。


…あ、やばい?

嫌な予感がして読んでいた本を棚に戻す。




ダダダダダ!という音がして、めちゃくちゃに揺れた。此処は9階だ。全てが揺れる、揺れる。
蛍光灯が何度も消えては点き、消えては点き――やがて完全に消えた。
若い女性達が悲鳴をあげ、子供の泣き声が聞こえる。

何とか立ち上がったが、強い揺れによりバランスを崩しそうだったので、また座る。



本棚は固定されているらしく倒れはしない、だが目の前に置かれた本は床へと滑り落ちる。幸いにも縦に入った本は目の前の棚に殆ど無かったので頭に落ちてくることはなかった、しかし揺れが続く中ふと左前に視線を移すと縦に入っていた本がバラバラと雪崩を起こし床を叩いていた。もし本が縦に入っている棚の前にいたら怪我していたかも知れない。

「わ、わ、わ!」

という声がして立ち読みしていた隣の人を見る。
彼女は立ったままだったので、バランスを崩し背中から転び、そのまま床を滑っていった。
後ろで立ち読みしていた人♂は本棚の本が横に置かれている場所に座ってしまっていた。

本棚の下にある引き出しが幾つも滑り出てきて足にぶつかる。
ドドンドドン、と何かが暴れるみたいな音をさせながら揺れは続いた。


……ようやく揺れが収まる。
床に本が散乱している。雑誌や専門書など様々な本が床にだらしなく投げ出されていた。

電話……家族は大丈夫なのか?

すぐに携帯電話で家にいるはずの妹に電話をかける。思った通り通じない。
一応メールも送ろうとしたがやはり同じだ。
自宅の固定電話も駄目だ。

「お怪我はありませんかー?」

と何人かの店員が見回っている。


「ねえ、電話通じないんだけど!?」

若い女性が騒ぐ声がした。
やはりみんなそうか、こういう時は電話が集中するものだ。

「もうやだ、有り得ない有り得ない!」

若い女性達が怯えながら騒いでいた。

「今日マジ来なきゃ良かったー!」

若い男性の声がした。


「エスカレーター、エレベーターは停電のため停止しております、階段にご案内致しますのでこちらへどうぞ」


みたいなことを店員が言い、皆そちらへゾロゾロ移動した。


階段への列に並ぶ。
若い女性達は騒いだり携帯を弄ったり落ち着かない様子だった。

自分はというと、普段より冷静だった。軽くパニックな人達をどこか冷めた目で見ていたと思う。

列に並んでいる横にDVDコーナーがあった。
そこの写真がこれだ。
本


言葉は必要ないと思う。見た通り、この有様だ。



頬が林檎病みたいに赤い子供♀が泣いている。店員や父親のような人があやしている。
床には少女マンガ(ち○おとかみたいな?)が落ちていた。

店員の指示により、ようやく階段を下りることになる。

沢山の人が階段を下りる中、将棋倒しになるんじゃないかと心配しながらもなんとか9階から階段を下り、ようやく外へ出た。

駅には見たことのないほど沢山の人が集まっていた。

余震が来て、人々がどよめく。

「ガラスが落ちるかも知れないので建物から離れて下さーい!」

百貨店の店員らしき人が叫ぶ。
そう言っても近くにはコンビニもあるし、なにせ人が多い。あまり移動は出来なかった。

幸いにもガラスが落ちたりはしなかった。

いつもバスに乗るため移動する方面には人込みが見えたので、どうしよう、あちらからは下に降りられそうにないな…と思い他の道を探そうと思った。


「危険ですのでこちらから下へ降りて下さい」

とても可愛い何処かのお店の店員さんに声をかけられ、仕方なく階段を下りる。多分此処から下りたらバス停行けないよ…とか思いながらも下りた。

下では、建物に亀裂が入ったとか言っているのを耳にした。


上に人が少なくなってから、上に戻りいつも通りの道を歩きバス停へ着いた。

バス停の近くには予備校があるので、バス停の周りにはそこの生徒が沢山いた。

そしてまた強い揺れが起こる。

騒ぐ生徒たち。先生みたいな人が言う。

「(予備校の)ガラスが落ちるかもしれない、車道に出ろ!」

生徒たちが車道に出る。私も混じって車道に出た。揺れはさらに強くなり、立っていると危ないので皆でしゃがんだ。


揺れが収まってから腕時計を見た。いつもバスの来る時間を5分くらい過ぎていた。
この様子じゃ多分バスは来ないだろう。
歩いて帰ることを決意し、いつもバスで通る道を歩きはじめた。
…予備校の生徒たちが少し驚いた表情で私を見送ったのは、やはり私も同じ生徒だと思われたのだろうか…(ツイッター参照)。


歩いたのは1時間くらいだが、幾つかの病気をして体力の落ちている自分にとっては長い道のりだった。


ひびの入った道路を見つけ少し驚きつつ歩く。

いつもバスで通る橋を渡る時は少し揺れて怖かった。

「橋が落ちたら泳げないから大変ねー」

と後ろで歩いていたおばさん達が話す声が聞こえた。
川を横目に少し緊張しながら、早足で渡りきった。


いつもはバスにぼんやり乗っているだけだから、道を間違えず歩いて帰れるか不安だった。
元々方向音痴だし…。


でも何とか見たことのある場所へ来て、知っている家の塀等が崩れているのをいくつか見たりした。

疲れてようやく家にたどり着くと家族は車に乗っていた。

家の中はめちゃくちゃらしい。
食べ物などを取りに家族と共に家に入った。

確かにめちゃくちゃだった。

私が見た家の中+家族の話を合わせると、
食器がガシャンガシャンと音を立てて割れた。
箪笥が倒れた。
棚が倒れて中身が全部出た。電話も落ちた。
机の本やノート等が落ちた。机の場所が少しズレていた。
玄関にある鏡が倒れていた。靴がクッションになり割れてはいなかった。
奇跡的にテレビは無事。パソコンも無事。

後は、電気や水道が止まった。

家の中は泥棒でも入ったみたいに散らかっていたが、家族が皆無事で本当に良かったと思った。
口には出さなくとも、無事であることにすごく安心した。

その日は電気が点かないため真っ暗な上、様々な物が散乱し危険な家にいるわけにもいかず、車で一晩過ごした。
父が、道が混んでいたために6時間かけてようやく夜遅くに帰ってきた。
カーナビでテレビのニュースを見た。父は宮城が震源地だと言った。私はそれまで自分や家族のことで精一杯で、ここで地震の規模をようやく認識した。

自分達の住む県だけでなく、日本が大変なことになっている。

ニュースを見ながら、私達家族は呆然とその事実を知ったのだった。


幸いにもいつもより沢山お菓子が買ってあったので、その日は真っ暗な車内でそれを食べた。
毛布を被って車の中で寝たが、余震のせいか環境のせいか、数時間で起きてしまった。


次の日からは家で過ごしたが、電気が使えないために暗闇の中いきなり揺れるのは怖かった。

炊飯器が使えないから、母が土鍋でお粥を作り皆で食べた。
日が出ている明るいうちにおにぎりを握った。
冷蔵庫が使えないので腐ってしまうからと、母は暗い中キッチンを懐中電灯で照らしながら肉を焼いたりした。


大きな地震があった時に逃げられるように洋服を着たまま寝た。暖房も使えないのでコートを着たまま布団に入った日もあった。

蝋燭の明かりは頼りなかったが真っ暗よりマシだった。電気の有り難みを知る。
皿を洗えないのでラップをかけて使った。
蝋燭の明かりで夕飯を食べた。



電気が通ってからは夜も明るく火燵も付けられるようになり、携帯も充電でき、テレビも見られて…すごく安心した。

水道がなかなか復旧しなかったため相変わらず皿にラップをかけて食事をした。手がなかなか洗えず消毒液やウェットティッシュを使っていた。

県内で先に電気や水道の復旧した祖母の家で風呂に入り、洗濯をし、水をペットボトルやポリボトルに汲んで家に持ち帰った。
祖母自身は親戚の家に避難しているため、私は地震後は会っていない。
避難する前に父と母は電話の通じない祖母の様子を見に行き祖母に会ったため無事は確認出来ている。

祖母の家の方の店は私達の家の方よりは商品が多く並んでおり、開店している飲食店もあった。水道が通っているせいかも知れなかった。
それでも屋根や壁にビニールシートの張られた家があったり、傾いた家を見つけたりして全く被害が無かったとは言えないようだった。
ガソリンスタンドには長蛇の列。ガソリンはこの辺りでもあまり無いのだと、異常なほど長い車の列を見て思う。


連日テレビやラジオで自分たちより大変な地域の事を見聞きする。
同じ地震で亡くなった方が大勢いることを思うと気持ちが暗くなった。
テレビの中で泣いている人がいるというのに、何も出来ず傍観している自分も嫌になる。

不便な生活にも多少のストレスを感じる。

私のいた駅の南口の方でも亡くなった方がいたらしい。何の罪もない人が沢山亡くなり、身近な所でも人が亡くなり、何の役にも立たない自分は生きている。ただ悔しかった。


家族も自分も怪我せず生きているだけ幸せだ。
食べ物があるだけ幸せだ。
そう思いながら多少不便な生活に耐えた。不便といっても宮城や岩手、福島の人よりずっと恵まれていると思った。
何より自分達は生きているんだ。

私には死んでしまいたいと何度も思った時期がある。
でも被災して、死にたくないのに亡くなった方が沢山いて、そんな中で初めて、生きなければと思った。

生きたくても生きられない人がいる。よく聞く言葉だけど実感は無かった。でもテレビでは繰り返し震災のことが報道され、新聞にも震災で亡くなった方の名前が並び、それらを目にして、同じ日本で、同じ地震のせいで、生きたくても生きられず死んでいった人達がいるのだと思うと、せっかく生きている自分はこれからも出来る限り生きていかなければと思った。
2010-08-08 [ Sun ]
とりあえず作ってみました。PTCのことが主になる・・・かな?

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・よく変わりものと言われる。
・優しい時と冷たい時の差が激しい。
・絵や文を描く&書くのが好きだけどなかなか上達しない。

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